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 須磨寺の永代供養

須磨寺の永代供養

須磨寺は、平家物語にゆかりの寺です。屋島の戦いで熊谷直実に討たれ、弔われた紅顔の美少年平敦盛のものとされている笛が伝わっています。彼に息子を重ね、熊谷は逃がそうとしますが、味方である源氏の軍が近付くのを見るや、もはや助命はできぬと知り、せめてこの手で後世を弔わんと彼を討ちます。その時、敦盛の笛を見つけ、陣中にて管弦のあそびをしていた優美さを思い、戦の無情を悟って出家します。この笛は“青葉の笛”と呼ばれ、人々はこの物語を美しいと感じたのでしょう。敦盛の名は織田信長が愛した幸若舞『敦盛』に残っています。『人生五十年下天のうちをくらぶれば……』この歌いだしは今でも人口に膾炙するところです。狩野派の遺した絵画や、銅像もあります。また、周辺には、牡丹のような男とされた平重衡(清盛の子。南都焼き討ちの主犯。大仏などを焼き、多くの宗徒を殺したかどで斬首されるが、その前に妻に面会を許されるなど、当時としては、イレギュラーな最後を遂げた人。その品の良さ、教養は、鎌倉殿こと、源頼朝を突き動かし、彼は南都衆に引き渡されるまで、丁重に扱われた。とらわれたのちは深く仏教に帰依し、浄土を求めた。兄に小松内府こと重盛、壇ノ浦で鎧を二両着て入水した知盛がいる)ゆかりの史跡があります。須磨寺の中には、松尾芭蕉の句碑もあります。

須磨寺の正式名称は上野山福祥寺。真言宗のお寺です。海を漂っていた聖観音像を漁師が引き上げ、聞鏡上人が今のお寺に安置したのが始まりです。この聖観音像が今の本尊で、霊場としても有名であると同時に、前述の『平家物語』、紫式部の『源氏物語』にゆかりの桜の制札が残っています。これは源義経の忠実な部下、弁慶が立てたという伝説があり、その言うところには、「一枝を切らば、一指を切るべし」。この木の枝を折り取るのならば、己の指を差し出せという厳しい言葉です。岡倉天心『茶の本』では、この制札を日本人の花に対する愛着の手本として紹介しています。また、珍スポットとしても有名で、公式サイトではおもろい(面白い)寺として自ら紹介してあります。
須磨寺の属する真言宗は、弘法大師こと、空海が、唐で学んできた仏教が基礎となった仏教です。奥義を持ち、密教と呼ばれます。秘密の教えの意です。高野山が有名ですが、同じ真言宗の中でも、派が違い、寺格も様々です。真言はマントラとも呼ばれます。古義派と新義派に分かれ、須磨寺は古義派の由緒あるお寺です。
 須磨寺には、青葉の笛に因んだ、青葉殿という納骨堂があり、時代の感覚に合わせて、永代供養を行ってくれます。関西では手厚く、丁寧だと評判のお寺です。映画評論家の淀川長冶氏のお墓があることでも有名です。
最寄駅はJR須磨駅など。文学、歴史好きな人、光源氏のさすらい、多くのもののふが歩んだ須磨をお墓の候補地としてはいかがでしょう。